さまざまな方の離婚体験談


養育費の交渉がきちんとできないまま妊娠中に離婚

私は妊娠中に離婚をしました。

 

一人目の子供が4歳になったとき、二人目の子供を作るかどうか主人と話し合いました。

 

経済的には苦しくなるかもしれないけど、兄弟を作ってあげたい、二人子供がいたら楽しいだろうということで、妊活をして見事妊娠することができました。

 

妊娠してからつわりが始まり、吐き気、不眠などで辛い日々が続きました。一人目の妊娠中はつわりがほとんどなく、経過も順調で、安産だったため、主人にとっては妊娠、出産の大変さが理解できなかったのでしょうか、私が二人目を妊娠してつわりで家事ができない、上の子のお世話ができない、ということにイライラしていました。

 

また日ごろからお金の使い方に敏感な主人は、二人目出産でお金がかかることに対して、以前よりも口酸っぱくお金の使い方を気にするようになりました。つわりで家事ができない時くらい、お惣菜を買ってくることを許してくれたら、と思ったのですが、きちんと料理して食費を節約するように言われました。

 

このようなことから、二人目を妊娠して夫婦喧嘩を頻繁にするようになりました。つわりの辛さも重なって、精神的に不安定になり、とうとう別居をする形で私は子供を連れて実家に帰りました。1か月ほど休んで体調は良くなりかけたとき、主人からこのまま別居していてもしょうがないので、離婚をしたいと言われました。

 

私はもともと専業主婦で仕事をしておらず、妊娠中ということで出産後もしばらくは仕事をすることができません。経済的に不安でしたが、主人からの脅迫とも思えるようなメールや電話があり、とうとう離婚をすることにしました。

 

離婚に際して、子供は私が引き取ることで合意ができたものの、子供の養育費について話がまとまりませんでした。お金に対してケチな主人が養育費を払ってくれる見込みがありません。それどころか、主人から脅迫メールや電話が続き、私は精神的に参ってしまい切迫早産と診断されて入院してしまいました。

 

入院中、今後の生活について考えたのですが、これ以上養育費について交渉を続けて、さらに精神的に参ってしまい不健康な子供が生まれてきて苦労するよりは、もうさっぱり主人とは別れようと思いました。そして微々たるお金をもらったのみで、離婚をすることにしました。

 

現在は無事に子供が生まれてまだ働けるような状況ではなく、苦しい生活が続いています。あの時、直接主人とのやりとりをやめ、弁護士に依頼などして、養育費などの取り決めをきちんとすれば良かったと今になって後悔しています。

 

養育費ももちろんですが、財産分与などもきちんとすべきだったと思います。今になって考えるとかなりもらえるものがあった気がします。

 

正直にいって今とても経済状況が厳しいです。もし、今現在、以前の私と同じような状況にいる方がいらしたら、決して養育費などの問題をうやむやにせずに、きちんと取り決めをしてほしいと思います。

 

養育費があれば、もう少し習い事をさせてあげたり、かわいい洋服を着せてあげたり、たまには外食をさせてあげられたり・・・と色々できたことが多いのではと思う事があります。

 

自分のためというよりも子供の幸せのためにあの時、そのような決断をきちんとすべきだったと後悔しています。

 


金目当てであった夫に失望

実家が自営業で、その取引先の担当が夫でした。数ある取引先のひとつでしたが
他の担当と同様で、丁寧な説明と対応をしていた人でした。

 

ただ、違っていたのは夫だけは、何回も食事に誘ってきたという事です。


他の会社では当然なのかもしれませんが
我が家では、取引先の会社のパーティなどは別ですが担当限定で食事はしてこなかったのです。仲が良くなりすぎると商売に障りがてるというのが親の理屈でした。

 

ただ、直接交渉している私としてはあまり断るのも悪いので数回つきあい、そこから個人的な交際になりました。親や妹から反対されたので飛び出すように結婚し、子供も2人生まれました。

 

子供が生まれてからは頻繁に実家に戻っていました。結婚してから、夫はバツイチ子供なし、両親は病気など色々な事が解ってきましたがそれなりに、幸せでした。


夫は子供好き、よく公園で遊んでいました。しかし、2人目が生まれ幼稚園に入学したあたりで急に残業が増えたと言って自宅から足が遠のいていきました。出張も増えました。

やがては、暴言、暴力も目立ちそれが、実家にも知られ離婚するという方向に動いていきました。

 

「今までは優しかった」という私に、親と妹は子供が生まれた時からの夫の言動を明かしました。長男が生まれた時に、親たちに「会社から独立したい」と言い出したようです。


そして、長女が生まれた時に「とりあえず、500万ください」と孫を盾に独立利金の交渉していたようです。


私は何も知りませんでした。親達はこれまでも足りない生活費や子供たちの援助をしてくれていたのに、さらに、そんな事を言っていたなんて、、断るたびに夫は私達に当たっていたようです。

結局、弁護士を挟んで離婚しましたが取り決めた慰謝料、養育費は支払わない減額の調停を自ら起こしながら結局支払わずに、引っ越して、会社も辞めていました。

 

弁護士でも差し押さえる財産がないと費用が掛かるだけですね。

 

結局、私は仕事をかけもって子供に大学卒という学歴を付けさせました。でも大半は親、妹に頼り、子供にも奨学金返済をさせるはめになり情けなく思っています。妹に、どうして夫を嫌っていたのかと聞いたことがありました。「あの男だけ、取引先の私達を名前で呼んだから
私も誘われたけど無視した」という事でした。

 

独立資金を出してくれる相手なら誰でもよかったんだ。子供、特に長男は小学生ながら気づいたようで離婚してもショックはなかったようですが長女は猫かわいがりされていた分落ち込みようが酷かった。

 

親を選べない子供分、親は頑張らなくてはいけません。2人とも就職しましたが、もうひと頑張りしたいと思います。


岡野あつこ「離婚大全集」を友人に借りて勉強、満足のいく離婚ができた

現在、私は1人の娘と生活をしています。いわゆる世間でいう、シングルマザーまっしぐら。

 

 私、29歳で恋愛結婚をして、勝ち組の仲間入りを果たしました。学歴の高い彼だったこともありとっても、優越感に浸る日々を過ごしていました。

 

 結婚前から、心臓病を持っていた彼は、それを理由に娘が幼稚園に入るやいなや、大手企業を退職してしまいました。

 

 慌てて、私も職場に復帰しましたので、生活はなんとか維持できていました。が、男の人が退職してしまうのは、本当にキツイです。嫌というほど味わいました。

 

 少しづつ、恋愛感情もなくなり、娘もパパとうまくコミュニケーションがとれず、いろんなことが、ズレてきました。

 

 仕事をなくすということが、こんなにいろんなことに飛び火をするとは・・・

 

 お金の切れ目は縁の切れ目、昔の人はうまくいったものです。その通りになりました。

 

 離婚をするしかないのか・・・と悶々としていました。

 

ですが、この人とはもういられない、やっていけないという思いがどんどん固まっていき、どうやったら娘と生活をしていけるのか・・・そちらのほうに考えが変わっていきました。

 

 子供を抱え、生活していけるかどうか、そこが母親なら、悩み・不安になる一番の難関かと思います。

 

シングルマザーの友人に色々と相談したところ、彼女は岡野あつこさんの「離婚大全集」 というものを持っていました。はじめ、何だか知らなかったのですが、とりあえずその友人に将来のために絶対に読んで勉強したほうがよいと言われ、片っ端から読みました。彼女も離婚する際にこれを購入して、この本に従って密かに離婚に向けて行動していたとの事でした。


この本は、とにかく離婚の全てが書かれていました。分量もすごかったです。離婚したらどういう問題が起きるか、どういうことを準備すべきか、どういう法的手続きが必要か、そして様々な方の離婚ケースが紹介されており、自分が相手より、より有利に離婚するために今後何をすればよいのかが詳細に書かれていました。

 

この本に書かれている通りの事を水面下で準備し、それから相手に離婚を切り出しました。

 

ここから、精神的にきつかったです。


旦那のおどしが始まりました。暴言、暴力、誹謗中傷のメール1日100件など。私は耐えきれず娘を連れて家をでて、実家に帰りました。

 

2ヶ月後、自分達が住む家を契約し、引っ越し屋に手配しましたが、なかなか相手が荷物を出さそうとしないので、警察に相談したりしました。なんとか、相手も折れて、1日だけ時間をもら
 一切合財荷物を運びだし、引っ越し成功しました。

 

その間、刃物で襲われそうになるかもと思ったので、警察にその時間見回りに来てもらいました。そして、1カ月後、相手が離婚届けをまだ提出しないので、調停離婚を申し立てました。

 

「離婚大全集」には調停離婚対策も書いてありましたので、その通りに落ち着いて進めることができました。また「離婚大全集」の通りに今まで充分に準備していましたし、今までの暴力、暴言等、証拠になるものも集めてありましたので、自分の思い通りの離婚をすることができました。

 

今は養育費もきちんと契約通り払ってもらっていますし、財産もきちんと分与されましたので、まともな生活を送れています。「離婚大全集」を借りて勉強し、離婚の段取りと準備時間を得たことが非常に有効でした。


夫の度重なる浮気と酒癖の悪さに我慢出来ずに離婚

離婚したのはもう18年も前です。高校生の頃からの付き合いで5年ほど付き合って結婚しました。

年齢は1歳年上でした。元旦那の性格はとても社交的で人を笑わせるのが得意な人でした。なので彼のまわりにはいつも人が集まっていました。

もちろん女性の友達も沢山いました。きっと付き合ってる時にも浮気はしていたと思います。

でもそれには気づかずに結婚しました。元旦那は趣味がバンドでした。最初の浮気はバンドのファンの女の子でした。私の仕事は土日は休めず、最初の頃は元旦那も家にいましたが、気づいたら出掛けることが多くなっていました。何となく女の勘でおかしいなと思うことが増えました。たまたま元旦那の携帯の留守電を聞いたら、女の子の声であなたとずっと一緒にいられて楽しかったという留守電を聞いてしまいました。もちろん問い詰めました。元旦那は認めませんでしたが彼のまわりの知り合いから浮気しているということを聞きました。


いつの間にかその彼女とは、関係が終わったようでした。でも私達の関係はギスギスしたままでした。それが耐えられなかったのでしょう。元旦那は、また浮気をしました。次の彼女は私も仲の良かった子でした。3人で飲んだあと、そのお友達も一緒に家に来ました。私はそんなに酔ってなかったのですが元旦那とそのお友達はかなり酔っていました。どうやら二人はその後関係を持ったようです。その前からこの2人の関係は怪しいと思っていたので、これで確定したなと思いました。でも、さすがにその時の私は冷静さを失いました。


2人とも酒癖も悪いので、酒が入ったから訳も分からずそうなったのかもしれないですが、勢いだけじゃないものも感じました。2人を叩き起こし、どういうことか問い詰め、でも酔っているので2人とも全然目が覚めず。私は元旦那を、叩き続けました。

 

でもショックで足がガクガクしていたのしか、後は覚えてないです。この2人の関係も元旦那の友達から、聞きました。みんな知っていたようです。元々、お互いに気がありお酒の席で何となくそういう関係になったようです。酒癖が悪いと本当に最悪です。覚えてないと言われれば、それ以上問い詰められないし、真実がわからないです。さすがに、これ以上は許せないし信用が出来ないので、離婚を決意しました。きっと浮気はこの2回だけではないと思います。浮気性の男は直らないと親にも言われました。さっさと離婚して良かったと思います。


アメリカ在住の夫、アメリカの法律がわからず養育費がもらえず、生活が困窮

私は昨年末に夫と離婚をしました。度々離婚の話は出ていたのですが、子供のことだけが気になって踏みとどまっていました。しかし夫婦喧嘩がひどく、私が子供を連れて家を出て別居が始まり、その3か月後に離婚をしました。

 

私は子供と夫とアメリカで生活をしていました。主人はアメリカでの仕事を自ら選び、しばらくはアメリカで働きたいと思っていたのですが、私はずっと日本に帰りたいと思っていました。

 

また主人がアメリカでの仕事の面接を受けることを決めたとき、私に全く相談がなく、就職試験に受かった後でアメリカに行くことを報告されました。主人は仕事で海外に何度も行った経験があるし、英語も堪能なのですが、私は海外旅行さえ行ったことがなく、英語もほとんど話せないため、海外で生活することは反対でした。

 

そして日本にいても大変な子育てをアメリカでするということにも不安がありました。主人にはアメリカの就職試験を受ける前になぜ私に相談してくれなかったのかと、言い続けていましたが、主人が働いたお金で生活をしている、アメリカがそんなに嫌なら離婚すればいいとの一点張りでした。

 

確かに主人の仕事があってこそ生活ができるのではありますが、私だって子育てをしているし、生活する場所を選ぶ権利はあります。それを全く理解してもらえず、言葉も通じない、生活習慣も違うアメリカで暮らし、いつ日本に帰れるか分からないという状況は辛いものでした。

 

アメリカで生活すること自体、大変なのに主人とは些細なことで喧嘩ばかりしていました。せめて夫婦仲がよければアメリカでの生活も楽しいのですが、そうでないため毎日がとても辛かったです。

 

別居して日本に帰ってから3か月後に主人と離婚をすることを決めたのですが、子供の養育費のことで問題になりました。主人がアメリカ在住という理由で家庭裁判所に相談に行っても取り扱いができない、弁護士に相談に行ってもアメリカの法律は分からないので相談に乗れない、アメリカの法律と日本の法律のどちらが適用になるか分からないといった答えで、養育費の取り決めが全くできるような状況ではありませんでした。

 

養育費を毎月払ってもらいたいと主張したのですが、主人は養育費は払わないとの一点張りで、最終的には離婚に際して微々たるお金をもらっただけです。アメリカに住んでいるという理由で養育費の取り決めがうまくいかず、今はお金に苦しい日々が続いています。


きちんと準備してから離婚すれば良かった

私の元夫は会社を経営しておりそれなりの資産家でもあったため、本当に身勝手で浮気性の夫でした。

けれど、子供が一人いることと私自身が専業主婦という立場で贅沢をさせてもらっていたこともあり、
特に不満を抱かずに長年連れ添ってきました。

けれど、ある日の私の高価な買い物が原因で彼の不満に火が月、彼の方から離婚を切り出してくるようになりました。

その時に言われた言葉は今でも忘れません。
「俺は、キャッシュディスペンサーじゃないいんだぞ!」…と、怒鳴られたのです。

正直、子供に関しては彼の収入の中から全てさせてもらっていましたが、私自身もそれなりの資産を所有しているので
自分のものや自分の贅沢に、彼のお金を勝手に使ってばかりではなかったんです。
それでも彼は、「全て自分がしてやってる」という完全な俺様主義で、これまで浮気や暴言、彼の生理的に受け付けない部分にも目をつむって家事や育児を頑張ってきた私に対して一度もありがとうと言ってもらえたこともありませんでした。

 

離婚すること自体には抵抗はなかったのですが、やはり彼に上から言われたまま終わるのも悔しかったので、私の方が簡単には離婚に応じずに粘って住んでいたマンションと子供の親権と慰謝料3000万は私のものになりました。こう見ると、失敗のように感じないかもしれません。
けれど、彼は法律の専門家でもあり、上手く自分にとってリスクが少ないように立ち回っていたのです。

別居中に他の女性とお付き合いをしていた事も発覚し、さらにその相手の女性にも慰謝料を請求しましたが、別居中の「不倫扱い」になる規定を知っている彼はギリギリのところで慰謝料に応じなくて良い方法を知っており、結局相手の女性の事をかばう形を取られ、それ以上の請求はできませんでした。

 

また、離婚成立した翌月に彼は都内の億ションを購入して早速また、新しい彼女と一緒に暮らしていたのです。


そんな男と結婚した私も馬鹿ですが、正直なところもっと懲らしめてやればよかったという気持ちがまだ残っています。そんな風に思う自分の心も虚しく感じます。

離婚成立時にもっと彼の総資産をしっかり調査して、もう少し粘って時期を考えてから離婚すれば良かった。せめてもっと公にしておけば良かった。


もっとしっかり離婚に関する成約を細かく書面にして残しておけば良かった。

離婚が成立してしまった以上は、彼の現在にはもう介入できません。
悔しい思いがたくさん残ってしまいました。

でももう、彼への執着は捨てこれからは自分の新しい道を前向きに過ごしていきます。

今回は離婚に失敗しましたが、次は失敗しない幸せな結婚を選ぼうと思います。


離婚して良かった。仕事をしていたおかげ。

4年前に離婚しました。当時、結婚5年で私は28歳、元旦那は30歳でした。4歳の長女と生後間もなかった次女がいました。離婚を考え出したのは次女の妊娠が分かってすぐでした。


ギャンブル好きの元旦那に100万円の借金が発覚したのです。以前から数回借金を繰り返していたのですが、次女を妊娠したことで改心したと思った私が馬鹿でした。


これからという時に有り得ない。そう思った私は瞬間で離婚を決意しました。決意が固まった女は強いです。そこから私の離婚までのカウントダウンが始まりました。妊娠中でしたので、産まれてくるまでは離婚すべきできないと思いました。

 

幸い、仕事をしていたので、生活はしていける見込みがありました。ただ、貯金を一円でも多くしておこうと思い、その日からタンス貯金を開始しました。通帳だと二人の共有財産になってしまうと思ったからです。


毎日コツコツ貯めて、貯金が増えるたびに離婚が近づいていく気がして希望が持てました。そして同時に部屋探しを開始しました。離婚する前に部屋を決めておかなければいけないと思ったので、出産前に目星だけでもつけておこうと思いました。


元旦那は私の水面下での離婚計画を立てていることなど、微塵も感じてなかったと思います。でも夫婦仲も冷めきっていましたし、元旦那の性格も熟知していたので簡単に離婚に応じてくれると踏んでいました。


なので後のことは考えず、とにかく貯金を増やすことだけに集中しました。そして次女を無事出産して2ヶ月後、離婚を切り出しました。最初こそ驚いていましたが、予想通り離婚にすんなり応じてくれました。


子供と面会だけはさせて欲しいとのことでしたが、もちろん父親ですので月1回の面会交流は承諾しました。養育費については法定額の半額以下の金額をこちらから提示し、承諾を得ました。養育費など当てにしなくても自分で稼いでいくと決めていたのです。


婚姻中に元旦那名義で購入した家はローンの返済も残っていましたし、住みたくなかったので二人で払ってきたローンでしたが譲りました。代わりにに私は車と通帳に残っていた金銭のほとんどを貰いました。


親権についても、養育費についても特に揉めることなく円満離婚だったと思います。あくまで自分の意見ですが、欲を出したりすると離婚が長引くと思うので、女性でも経済力をつけて自分で生きていけるくらいにしておくと強いと思います。


離婚した今、子供たちと幸せに暮らしています。離婚しなきゃよかったなど思ったことは一度もありません。離婚して良かったです。

 


養育費は1万円に決まり・・

私達は、できちゃった婚で離婚を考え出したのはまだ産まれる前でした。実際に離婚したのは私が29歳、息子が9ヶ月の時でした。


離婚理由は元夫の女性関係と言葉の暴力でした。
とある日夜泣きが酷く、なかなか寝てくれず元夫はお構いなく寝ていました。3時間以上も抱っこしたりオッパイをあげたりしましたがずっと泣き通し。

困っていた私に『うるせぇな!静かにできねぇなら死ねや!』と、怒鳴りつけて夜中3時過ぎにどこかに出て行きました。後でわかりましたがこの時女性の所へ行ったようです。この事からどうしても耐えられず私の方から離婚を申し出ましたが何故か元夫の了解が得られませんでした。後でわかった理由は元夫が実家に戻りたくないといった感じの、しょうもない理由でした。
インターネット等で離婚について調べて離婚調停というのがある事を知り、どういう流れなのか全くわからず直接家庭裁判所へ行きました。家庭裁判所の方はとても親切に教えてくださいました。


離婚を切り出してから生活費を入れてもらえず、私が実家に住んで別居状態でしたがその事を話すと、『婚姻費用も請求する事ができます』と、教えてくださったり。離婚調停も4回ほどで元夫が承諾したのですが、その間に元夫に仕事を辞められ調停委員の方には『旦那さん、お仕事辞めたみたいで養育費等は請求できません』と言われてしまいました。どうやら元夫は請求できなくなる事を知って仕事を辞めたようです。(後に元夫に直接確認しました)


離婚調停中に次の仕事先が決まり、養育費について決めましたが仕事先が決まったばかりで初任給も低かったので、調停委員の方には毎月1万円が妥当な金額だと言われました。元夫には、まんまと食わされましたがこれで離婚してもらえるかと思うと毎月1万円の養育費も了解するしかありませんでした。
離婚してもう8年が過ぎましたが現在は再婚をし、一戸建ての住居も構え、新しい夫は息子の事をすごくかわいがってくれて、新たにもう1人子供が誕生しすごく幸せな日々が続いております。


最近はよく息子にどんな父親だったのか聞かれます。今はまだ幼い子供なので下手に傷付ける事になってはダメだと思い『優しいパパだったよ』と話しています。もう少し大人の気持ちもわかる頃きちんと説明しようかと思っています。


私はたまたま良い人に出会えましたが、壮絶な人生を送ってる方はたくさんいらっしゃると思います。しかし、離婚時はどん底にいた私でもここまでこれたのは息子のおかげだと思っています。今となっては良い経験としか言いようがありませんね。


調停離婚するも、養育費の支払いが滞るのではないかと不安

元夫、私ともに27歳、子供が2歳の時に調停離婚しました。


元夫は飲食業をしており、とても穏やかで誰に対しても優しい人でした。そんな元夫ですが子どもが生まれてからというもの外では良いパパ、良い旦那を演じていましたが家では子供のことはノータッチ、私のことは家政婦か欲求を解消する道具扱いするようになり段々と夫婦関係が崩れていきました。

 

そんな時私の祖母に癌が見つかり実家の手伝いの為しばらく家を空けていたところ、その間に元夫は家庭のある方と不倫をしており、子供がまだ小さかったので修復を試みましたが上手くいかず私のほうから離婚を切り出しました。


初めのうちは離婚しないと言われ、話し合いの末離婚に合意してからは養育費を払う義務はないと言われ、なかなか話がまとまらなかったので離婚調停を申し立てました。


本やインターネットで養育費や支払期間の相場等多少下調べをして調停に向かいましたが、調停でも元夫が頑なに意見を曲げないので調停委員の方に、あなたの意見はかなり妥当ですがこのままだと支払いが続かない可能性がある。

 

だとすれば金額、支払期間どちらも相場より低くはなるが継続して支払ってもらえる方法を選んだほうがいいのでは、と説得され私自身早く離婚したかったこともあり元夫が提示した養育費月に2万円、支払期間は18歳まで、面会に関しては月に1回程度という内容で成立しました。

 

離婚調停に1年近く時間をかけてやっと離婚届を提出することができましたが、これだけの時間とパワーをかけた割には公正証書の内容は納得のいくものにならず、離婚調停とはいえきちんと弁護士を付けて話し合いをするべきだったと後悔しています。


離婚してからもうすぐ1年になりますがその間に子供との面会は1度きり。約束事なので月に1度こちらから連絡はしているものの特に会いたい様子もなく、調停中に子供に会いたいとしきりに言っていたのは嘘だったんだと思い知らされました。最近ではその連絡も取れなくなりつつあり養育費が途絶えるのも時間の問題だと思っています。

 

調停委員の話によれば公正証書を作成して離婚した場合、養育費等の支払いが滞ることがあった時は法的な手段をとることができるが、相手の職場や連絡先が変わってしまっているとその行為をするのは難しいそうです。
今は一時保育に預けながらのパート勤務なので1日でも早く保育園を確保し正社員で働ける道を探す毎日です。


離婚を考えたら下準備を、そして長い目で見た計画を

私が離婚したのは結婚して14年目の40歳になった時でした。


当時、インターネットの環境がなかったので自分がどう動くべきか指針にするため図書館や立ち読みのため本屋に通いました。


子供が二人いたのでその親権を得る事、子供達のための養育費をもらう事、公的機関からどのような援助が受けられるのか、この3点が当面の課題となりました。


親権に関しては揉める事になるから大変かも・・・と思っていたら、夫は「子供はいらない、お前にやる」と言い放ちました。


すごい頭にきたけど、これだけは譲れないと思っていたので結果オーライとなりました。


養育費は公証役場へ行き、公正証書を作成し子供一人につき3万円で決まりました。また子供が進学した時には、その時に相談して上乗せする事も文書にて約束しました。


養育費に関しては、当時はこれが完璧と思い安心していました。しかし、子供が成長していき高校に上がろうとした時に養育費の増額を要求したのですが、実際には聞いてもらえませんでした。公正証書で約束したにも関わらず、いざとなるとその約束などどこかへいってしまったようでした。


仕方なく、その時は諦めるしかありませんでした。その後子供は大学への進学を考えるようになりました。


公正証書だけでは無理なんだと思った私は家庭裁判所へ調停の申し立てをしました。


この時も夫は自分の老後の資金を準備しなくてはならないから、という理由で子供の進学費用は出せないと言いました。


調停委員はあくまで中立な立場なので強制はできず、結局はまた進学費用は出してもらえませんでした。


お金の問題は重要です。子供の進路にダイレクトに影響してしまいます。離婚時に公正証書を作る時に、もっと将来的な事も考えて多めに要求するか相談する、ではなく具体的に決めるべきだったと思っています。子供への情は変わらないと信じていましたが、離れて暮らすうちに薄れてしまうものなんだと実感したからです。


公的機関の手続きは市の広報誌などから情報を得る事ができました。

 

市町村によって内容の違いはあるようですが、扶養手当の支給、給食費、医療費、修学旅行費用の援助、水道料の免除など・・・母子家庭が受けられる行政サービスがあります。


ただ、これは子供が成人するまでです。成人して働き始めると母子家庭とは呼ばれません。そういう事も念頭において早い時期からライフプランを考えていく事も必要だと思います。


万が一に備えて自立する道筋を考えるべき

元旦那との出会いは私が28歳の頃、アルバイトとして働いていたスナックでした。


常連さんが関連会社の彼と一緒に来店し、その席を私が接客していました。第一印象は若いイケメンが来たな~くらいの印象でしたがアフターで飲みに行こうということになり、みんなで行ったところ、彼が帰りの電車がなくなってしまったということで私の家に来る羽目に。


その際、意外と紳士的な態度だったので好印象を持つようになりそこから付き合うことに。交際してすぐに、彼の会社が私の家から近かったこともあり同棲がスタート。
同棲がスタートしてから半年くらいしたころに2人で住むように引っ越しをしようと物件探しが始まり、たまたま近所で新築マンションのモデルルームが開催されていたので、どんなものかと2人で見学。

 

すると彼が購入しようということになり、その日のうちに仮契約。私としては今すぐに結婚という話でもなかったし、彼が購入するならそのあとに結婚のことはゆっくり考えればいいかなと思っていると、彼の両親が激怒。マンション購入するのであれば同棲ではなく、結婚しなさいと。


あれよあれよという間に、お互いの両親たちと食事会することになり、結婚の話が急展開。私としては彼からのプロポーズもないし、付き合いだしてから日も短く不安もあったが、結婚はタイミングなのかもしれないと、不安を抱えたまま交際して1年ほどで結婚。


結婚して、専業主婦となり仕事が忙しい彼に合わせて生活時間も変化し、毎日食事を作ったりと充実していましたが、子供ができるまで私も仕事をして貯金をしたほうがいいと仕事をし始めると、生活リズムが彼となかなか合わなくなり、2人で過ごす時間も減り、喧嘩も多くなってきました。


結婚してから約1年半ほど経つころ、お互いの結婚観の違いが大きくなり別居。購入したマンションを売却を望んでいましたが、なかなかすぐに売り手が見つからず、その間も別居状態が続き耐えられす離婚を決意しました。結局、そのマンションは旦那名義だったので私が出ていき、今でも元旦那はそこに住んでいます。


離婚のときにせめて私の引っ越し代くらいは出してほしかったのですがマンション売却も決まらず、ローンもまるまる残っている状態だったので、なにも請求せずに離婚することになり後悔しています。


相手をきちんと見極めるべきだった

私が離婚したのは結婚してから1年と少し経った時でした。俗に言うできちゃった婚で、離婚する時には子供は1歳3ヶ月でした。

 

どうして離婚に至ったかというと、元旦那の収入が全く無くなったからです。当時の元旦那は19歳で、就職という文字は頭に無く、バイトを転々として生活費を稼いでいました。離婚の引き金となったのは元旦那の収入が全く無くなった事ですが、それ以外にも元旦那の人間性を疑うような事が多々ありました。
子供を妊娠している時、私は切迫早産で三週間入院する事になりました。元旦那には家の事と私の洗濯物等の世話で、協力して貰わないといけない状態でした。


当時のバイトは給料が振込ではなく手渡しで、給料日に貰った次の日に、私の入院している病院にお見舞いに来ました。そして元旦那が一言…「給料が入った財布を落としてしまった。」この人は一体何を言うているのか?と思いました。元旦那の給料が無いと生活出来ないのに、何て事してくれるんだ!と一瞬にして怒りが込み上げました。

 

私は未だに思うのですが、それは落としたのではなく、パチンコで使ってしまったのだと。なぜかというと、休みになればパチンコやスロットに行き、財布がスッカラカンになるまで遊ぶのを知っていたからです。


またある時、着替えのパジャマを持ってきてくれる事になったのですが、それもシワクチャでタバコ臭い着替えだったので、何故なのか問い詰めた事がありました。彼が口にした言い訳は…「駅からのシャトルバスの中でタバコ吸うてん」。普通はバスの中でタバコを吸う事は出来ないのにので、嘘をついている事はバレバレでした。その時はシワクチャでタバコ臭いパジャマを身につけ病棟にいなくてはならなかったので、私は本当に格好悪く、恥ずかしい思いをしたのを今でも覚えています。


私は結婚を失敗してしまいましたが、これは次のステップへの大事な経験だと思い、失敗だと思わ無いようにしています。私が1度目の結婚を通して学び、結婚相手について重視する所は、嘘を付かない事、一生懸命頑張って何事にも逃げない事、お金を無駄に使わない事です。そして「尊敬.尊重.思いやり」があれば支え合って生きていけるのでは無いかと考えています。


私はつくづく思います。私は男性を見る目がないなと。一回目の失敗があるからこそ今の私がいて、次のステップに進めると思います。次に再婚できるなら、失敗から学んだ事をいかして子供も一緒に幸せになれる様な人を探したいと思います。


たっぷり証拠を集めたことでたっぷり慰謝料をもらえました

5年ほど前に夫の不倫が原因で離婚しています。不倫相手は職場の新人で、今時の可愛らしい女の子でした。わりと名家のお嬢さんでしたがそれだけに世間知らずで優しくしてくれた夫に猛アピールをしていたと夫と同じ職場で働いていた方から聞きました。


いきなりよそよそしくなったのでどうせ不倫だろうとは思っていました。というのも、非常に仲が良い夫婦でしたが段々と喧嘩が増えていったからです。

 

その理由も「遅かったけど残業?お疲れ様」と言っただけで「お前には関係無い!」と怒鳴られて私が怒るといった内容。やましいことがあるから怒るのでしょう。そして、やましいことの定番といえばやはり不倫ですよね。


そして探偵さんに依頼してみたところやはりクロでした。しかし、この時点で離婚することはすでに決意していましたから料金はかかりますが、更に証拠集めをお願いしました。相手のことをより詳しく、より証拠を集めて頂くようにお願いしたところ写真だけではなく映像やら音声やらも集めて下さいました。一年ほど険悪な雰囲気が続いていましたので、証拠を見た時もショックは無かったですね。


とりあえずその証拠を持って彼の実家に行き、仲良くしてくださっていた義父母に見せました。そしてその時に離婚するという意思も伝えました。義父はとにかく彼に怒っていて、普段温厚な方ですから余計に怖かったです。

 

義母もおっとりしたタイプですが激怒してくださって、全面的に味方をするし息子とは縁を切る。でもあなたは今までのように娘として家に遊びに来てちょうだいと言うほど。

 

強力な味方を付けて夫との話し合いに臨みました。


当初は言い訳をして否定していたのですが、証拠を見せたところ白状しました。そこで相手からは慰謝料を請求しないで欲しいというので義父がまた怒って殴ってしまったりと波乱もありましたが、義父が親友だという弁護士さんを紹介してくださって、不倫相手との話し合いもスムーズにいきました。

 

良い家の子ですから向こうの両親がとにかく大事にしたくないとかなり高額な慰謝料も支払ってくれました。


夫にも相場以上の慰謝料を請求しましたが、義父母のおかげで祖父から受け継いだマイホームも頂きました。後からトラブルになるのが怖かったのですぐに売ってしまいましたが、離婚をきっかけにかなりの大金を手にしました。今は他の方と再婚しましたが、義父母とはまだ交流があります。


離婚してもお母さんが元気であれば子供も大丈夫

私は現在39歳。


高校生の息子と、今年中学を卒業する娘がいます。
私が前の夫と離婚したのは、今から13年前のことです。

 

結婚してすぐに妊娠して子どもが生まれたのですが、夫は若かったこともあり家族よりも友達との集まりを優先したり、趣味で使う高額なものを欲しがるようなところがありました。


私は出産後も、同じ職場で仕事を続けました。

そして二人目を妊娠。


妊娠8ヶ月目のとき、夜勤を終えた夫が帰宅し、私はひとりで産婦人科の健診に出かけることにしました。
当時住んでいた県営住宅の5階から駐車場へ降り、車に乗って5分ほど走ったあと、いつもなら必ず送って行こうかと言う夫が、何も言わなかったことを思い出しました。


女の勘が働き、私は車をUターンさせ、自宅へ舞い戻りました。
車を止めて5階へ上がり、自宅のドアの鍵を開けました。

驚いて玄関に立っていた夫には目もくれず、洗面所のカーテンの向こうに立っていた女性を見つけました。
同じ職場のバツ1の女性でした。


優柔不断で女性にいい顔をしてしまう夫は、その女性からの誘いを断れなかったのでしょう。

私は24歳。


大きなお腹を抱えていたけれど、自分勝手な夫に何の未練もありませんでした。
私は家庭裁判所で離婚調停を行い、慰謝料なしの養育費を3万円と決めました。

職場の友人は、調停して慰謝料をもらったら?と言いましたが、夫に払えないとわかっていた私はしませんでした。


不倫相手との不倫が発覚してから、夫と相手の女性は居辛くなったのかすぐに職場を辞めてしまいました。
その時私が思ったのは、養育費を払ってくれなくなるのではないかということです。

予感は的中。


夫からの養育費の支払いは半年ほどで滞りました。


携帯に電話するとそのうち払うと言い、そのうち出てくれなくなりました。


私は、家庭裁判所から夫の住むアパート宛に文書を出してもらったりしましたが効果はなく、しばらくするとアパートを引き払ったのか郵便物が戻ってくるようになりました。

 

仕方なく夫の実家の両親へ電話し事情を説明すると、滞っていた分の養育費を払ってくれ、その先の養育費も払うと約束してくれました。


それから今まで、滞ることなく支払ってくれています。夫の両親が誠実な人で良かったと思っています。

 

離婚後の子どもたちですが、元気で明るい子に成長してくれました。


離婚しても母親が元気でいれば、子どもたちはお父さんがいなくても元気でいられるのだと思います。


不況から全てが変わってしまった・・・

夫は32歳、私が29歳の時に離婚しました。私の結婚生活破綻、すなわち離婚は、すべてお金の問題、いわゆる不況が原因でした。

はじまりは、不況によって元夫が勤務先を解雇されたことでした。解雇された元夫は、それをすぐに私には話しませんでした。すでに職場を追われていたにも関わらず、毎朝それまでと同じ時間に家を出ていたのです。勤務先は元夫の実家でした。それで実家の親から連絡が入り、私は初めて事態を知ったのです。

この時は二重にショックでした。元夫から解雇されていたことを知らされなかったことと、実家の親はすべてを知っていたことに対してです。もともと元夫の実家とは行き来もなく、親との関係も希薄でしたが、まさかここまで薄情だとは思わなかったからです。

しかも親から知らせを受けたとき、解雇からすでに一月が経っていました。ところが、生活費はそれまで同様入れてくれていたのです。そんな余裕は無いはずなのに、おかしいなと思って調べてみると、定期預金が崩されていました。その定期は私が結婚前、OLとして働いていた時に蓄えたものでした。

戻って来た元夫と話をすると、一月の間職探しをしていたわけでもないようでした。

それからが地獄でした。貯金は定期を含めあっという間に底を突き、それでも元夫は時間通りにどこかに出て行くからです。そのどこかがまともな所なら問題はなかったのですが、元夫が通い出したのはキャバクラでした。

一月遅れで私の元にカード会社から請求が来ました。知らない間に私のカードを使って、キャッシングを受けていたのです。働かずに、職探しもせず、借金をしてキャバクラに通う元夫に我慢も限界でした。

悪いことは重なりました。ちょうどその頃実家の親が重い病気に罹り、医師からは半年持たないと告げられました。しかし、やるだけのことはするといわれました。やるだけのことをやるには、応分の治療費がかかります。経済的にも限界でした。親を見舞った後、電車の中で倒れました。

気が付くと運び込まれた病院のベッドの上でした。医師から倒れた原因は過呼吸、精神面でパニック症候群が疑われると言われました。

それからは通院をしながら、自治体に生活保護の相談をしに行く日々でした。家に元夫の姿はなく、来るのはカード会社からの督促ばかりです。

協議離婚が成立すると、親権は私が引き取り、養育費0で生活保護を受け、母子寮に入って親子三人の生活が始まりました。


調停員の心証は大事だと思いました

娘が1歳になる2週間前に離婚しました。


里帰り出産で帰省中に電話で口論になり、夫から離婚を言い渡され、今までの夫の浪費癖や同居していた姑からのいじめ、また結婚するまで知らされていなかったことが多くあり、嘘ばっかりだったこと。


精神病持ちで薬を服用していたのを結婚するまで隠していたことなどが度重なり、
うんざりしていたところだったので承諾し、離婚が決まりました。

 

夫は親権は死んでも譲らないと強気でしたが、私も譲る気は全くありませんでした。


事実上別居となっていたので、直接会って話し合おうと提案するも
夫は口ではお前に勝てないから嫌だと子供のようないいわけをして完全拒否。

 

「俺はあんたに騙されたんだー!恐ろしい女だよ!娘が病気になったら俺が命をあげて

守るからいいんだ!お前みたいな恐ろしい女に母親がつとまるわけないんだーーー!」

 

と、最後は言葉にならないようなことを叫んで一方的に電話を切られました。


それからこちらから連絡しても通じなくなりました。

 

このままでは話が進まないと考え、家庭裁判所に離婚調停申し立てを行い、家庭裁判所に夫を呼び出して貰いました。


ところが、調停初日は夫は欠席した上に弁護士をつけて、信じられないことに復縁を要求してきました。


これには、私はもちろん調停員の方々も離婚の話し合いを前提にしていたのでびっくりさせられました。


しかし、夫から離婚を言い渡されたメールのスクリーンショットをすでに提出していたし、更には復縁を求めているわりには本人は欠席しており、夫に対しての調停員の方々からの心証は最悪なものとなり、夫の弁護士も次は必ず夫本人が出席するよう言い聞かせてくれたようで、二回目の調停で夫はあれだけ命を懸けて親権を取るといってた割にはあっさり諦め、親権は私になり、離婚成立しました。


しかし、支払い義務のある養育費は払いたくない、更には夫が受け取っている筈の市からの児童手当も払いたくないと愚図り、更に心証は悪くなる一方で結局養育費もきっちりもらうことができました。


離婚成立してから半年がたちますが、元夫は娘に会いに来ようともせず、最初から最後まで何がしたかったのかよくわからない人でした。


不倫の末、突然妻が家を出て・・

今から5年前、私が40歳の時に38歳の前妻と別れることになりました。

 

理由は妻の浮気です。以前から妻が怪しい動きをしていたことで探偵事務所に依頼して調査をしていました。私としてはそうあって欲しくなかったのですが、残念ながら私のカンは当たっていたのです。浮気男と腕を組んでいるところやホテルに入る瞬間の証拠写真を目の当たりにして目の前が真っ暗になりました。

 

証拠を突き付けて妻に浮気を止めるように促したのですが、私が探偵を使って調査したことが妻の逆鱗に触れ結果的に妻から別れを切り出され家を出て行ったのです。結婚して10年目、突然の離婚となり途方に暮れましたが、私よりも子供のことが心配でした。娘二人おり長女は小学校二年生で二女は幼稚園の年長組でした。物心ついた年齢で突然母親がいなくなったことで娘達には大変つらい思いをさせてしまいました。

 

妻が出て行ったことについて娘達はその理由は知りません。「ママはいつ帰ってくるの?」と私に尋ねる娘達に私は意を決して本当の事を打ち明けようと決めました。ママはパパと別れてもう帰って来ないよと告げると娘達はワンワン泣き始めました。

 

娘達が大声で泣き叫ぶ姿を見て私ももらい泣きしそうになりましたが、グッと堪えて二人を抱きしめてこう言いました。「ごめんな、その代わりパパがママの分までお前たちを可愛がってあげるから許してくれよな」しかし娘達は泣き止むことなく私の胸に顔を埋めたままでした。この言葉で娘達が納得してくれるとは思えませんが、ともかく一人親になったことで私は決意しました。娘に告げたように私が母親代わりとなり娘達を守っていくことでした。

 

それからの生活は一変し、私は朝早く起きて娘の弁当を作って洗濯を済ませてから会社に出社します。幸い役所勤めなので残業も殆どなく自宅に帰れるのは助かります。帰宅すると夕飯の支度をして娘達と一緒に食事をします。

 

それまで料理もしたことはなかったのですが、娘にまずいものは食わせられないと一生懸命料理レシピを勉強しました。その甲斐あってか娘から料理が上手くなったねと褒めて貰えるようになりました。離婚した時に大声で泣きわめいていた娘もようやく元気になってくれ、私としては一安心です。

 

家事をやりながら仕事をこなすのは思ったより大変でしたが、可愛い娘達の笑顔を見れば辛さも吹っ飛びます。これからも三人で元気に仲良く暮らしていきたいと思います。


出来る限り自分が得する方法を調べ上げて戦闘態勢へ

私は残念ながら数年前に家族崩壊いわゆる離婚を経験しました。

 

離婚を切り出して来たのは元夫ですが、その話をしようと時間を空けてくれと言われた時

私はあ~ぁ離婚の話がいよいよきたな!!と直ぐ悟りました。

 

まずそこまでにいく離婚原因の大半を占めた事がありますのでここに記しますね。

 

私は当時8年前大きな病に罹り手術を経験しました。

 

それからでしょうか、夫婦の営みもほぼなくなり私は何も感じませんでしたが

当時から元夫には色んな感情があったのでしょうね。

 

そんな病に罹った私ですが退院後は身体を気遣いながら

これから子供達の教育資金を少しでも貯めなければと頑張って日々働きながら

少しでも家計の助けになればと過ごしておりました。

 

そんなこんなで過ごしていたある日から

元々夜遅く帰宅する元夫でしたので、帰宅が遅いのはほとんど気にせず私は休んでおりました。

それが段々今日は食事はいらないとか友達の家に泊まるとか普段しない事が始まりました。

 

私はしばらく息抜きでもしているのだろうと何も言わず泳がせておきました。

泳がせてから動きが変になってきます。

 

それはお金が必要なのでしょうね。

自分の趣味であった色んな物を売り始めているようでした。

おこずかいでは足りなくなってきたのでしょう。

 

多分そんな生活にも耐えられなくなったからでしょうね。

ある日夜中に話があるから起きていてくれ!!と言われ

いよいよきたな!!と私は待ち構えておりました。

 

話し合いに自宅に戻ってきた元夫はもう無理だ離婚してくれ。

何が無理なの??と私は聞きます。

するとこう言いました。

俺も男だから??私はは??っと言いました。

 

それだけの理由で別れる世の中の男性は

性生活がないだけで離婚してるでしょうね。

 

他に理由があるでしょう??と問い詰めたらこう言いました。

居場所がないと。。これにはドン引きしましたね。

 

散々好き勝手していながら居場所がないと言われまして、

どんなに身体が辛かろうとも夕食の準備を怠った事はありませんしね。

 

そんな話をしながら、また直ぐさま出ていきました。

なので私は離婚に向け、自分が圧倒的に有利になる離婚方法を必死にネットで検索し

公正証書を交わし財産分与は本来であれば半分ずつらしいですが

自分勝手な理由で離婚したいのだから裸一環で出ていきなさいと

生命保険の解約金の半分だけ差し出し、後は私が貰い最短1か月で離婚成立です。

自分に完全有利でおさらば出来ました。

後悔は全くなしです。

 


弁護士に相談・・作戦を練ってうまいこと離婚

私達は新婚でありながらも別居を経て離婚をしました。同居していた期間は半年もありません。

 

夫とはかなりの年の差婚でした。

 

例え子供が出来たとしても、子供が高校生になる頃は夫が生きているかも分からないほどです。

 

私自身、子供が欲しいという願望がなかったですし、1人で育てられるとも思わなかったので『子供は絶対に作らない』と約束の元、結婚しました。

 

しかし結婚した途端、何を思ったか子供が欲しいと言い出し、避妊を拒むようになりました。私が泣きながら頼んでもまったく聞く耳を持ちません。逃げるように実家に帰りました。

 

私が出て行っても夫の考えは変わらず、離婚に向けて話し合いをする事になりました。離婚となると急にお金や財産ばかり気になってしまうもので……調停になる事はないと思いましたが念の為、弁護士の無料相談へ行きました。

 

私が心配したのは今まで買ってもらった物です。夫は冠婚葬祭などに出席する事を大変嫌っており、自分の代わりに私を行かせようと結婚前に礼服一式、ドレス、宝石、車などを買ってくれていたのです。これらは『結婚生活を送る前提』で買ってもらっているため、返せと言われれば返さないといけないかもしれない、と言われました。

 

向こうが切り出さなければ、わざわざこちらから話す必要はないとの事でしたので、話し合いの場では一切そういった話に触れませんでした。幸いにも、夫は新調した家具や家電の話を始めました。

 

この瞬間から、考えに考え抜いた私の作戦が始まります。まずは夫に有利なように見せ、「タンスもレンジも冷暖房器具も全部いらないから、謝って欲しい」と条件を出しました。

 

普通こういう場合、形だけでも謝罪するものだと思うのですが……彼は謝ってくれませんでした。しかし私の作戦は彼が謝らない事を前提にしたものでした。

 

夫には人の気持ちを考えるという事が面倒で、その面倒くささをお金で解決させる節がありましたので、「じゃあ別居中の生活費払え!」と怒鳴り散らしました。

 

さらに、「私の気持ちも考えて」とか「なんでそういう言い方しか出来ないの」など捲し立て、彼に「もう面倒だ、早く終わらせたい」と思わせる。見事作戦成功しました。

 

それからは本当に早かったです。私は当然のように私物をすべて(もちろん礼服や宝石も)実家に運び、ちゃっかりと別居中の生活費も貰いました。全部合わせると200万ほどですから、これはもう慰謝料のようなものです。

 

弁護士から聞いた知識があるのと無いのでは、大きな違いがあると切に感じています。


車の所有権が問題となり・・・

短い結婚生活を終え、近辺の整理も一段落して落ち着いた頃に、突然、請求職が家に届きました。

 

高価な化粧品を離婚の直前に購入しておりローンの開始日が記載された書類です。

 

私が注文をした訳でもなく元妻が購入をしたのですが、離婚の慌しさから完全に忘れており頭の中にありませんでした。

 

私の物でもありませんし今はもう居ない元妻の分まで払う必要がないと思い、知人を通じて元妻に連絡を取ってもらい、自分で払ってくださいと伝えていただきました。

 

すると返ってきた返事が、私と暮らしていた時の事は私に負債があり、私に払う責任があると伝えて来ました。

 

小額の金額でしたら払っても良いのですが、30万の高額の商品で気軽に払う気にはなりませんし、

元妻とはいえ他人なので払いたくない気持ちで一杯でした。

 

その後、友人を通して話を伝えてもらいましたが、話が進む事無く私が払うことになりました。

 

それから、私が忘れていて気が付かず、完全に手続きを忘れていた事が一つありました。

 

それは車の所有権です。

 

離婚をする時に妻に車を渡したのですが名義変更を忘れており、自動車税の請求書が私の所に届いてしまいました。

 

車の名義人を私のままにしており変更するのを忘れていたので、請求権が私に発生してしまいました。

 

手元に無い車なのに払う事はおかしいので、今回だけ払う事にして、あとは自分で払ってくれるようにお願いをしました。

 

それから、数ヵ月後に元妻から連絡があり、車の事で相談があったのですが、今乗っている車を売りたいので転売の手続きをして欲しいと連絡がありました。

 

この車は元妻にしばらく足代わりに貸しただけであり、所有権を渡したわけではないので法律上は私の所有車になります。

 

ですが元妻は私に譲ると約束をしたと言い切り、私の車だと聞く耳を持ってくれません。

 

事実、離婚後に残っていた車のローンを払い続けていたのですが、残り200万近くのローンがありました。

そこで自分の車と言うのでしたら完全に名義を元妻に変えて、残りのローンを全て自分で払いなさいと言いました。

 

すると無理だと思ったのか転売を諦め、おとなしく乗るので残りのローンも払ってくださいとお願いをされ、ローン完了後に正式に元妻の名義で車を譲りました。

 

離婚をする時には精神的に大変で、頭が回らなくなっていました。

 

後から気が付く大事な事も多く、弁護士などの専門家に聞くか、冷静に前もって十分に下調べをする必要があったと感じています。

 


法的書類を残しておくべきだった

妻の浮気がもとで離婚することになりました。

妻は発言力が強く、私はいつも息苦しさを感じていました。

 

結婚7年目にして妻が浮気をしたので、私は探偵事務所に調査を依頼して、妻の浮気があるかどうか事実を確認してもらいました。

 

すると、妻は年下の男のアパートに出入して宿泊するなどという浮気をしていたことが発覚。

 

私はすぐに妻と義父母を読んで証拠をつきつけて浮気の事実を認めさせました。

浮気がわかったらすぐに離婚するという意思を固めていたので、私は離婚に向けてお互いの決まり事を考えていました。

 

親権は私がもつことになり、妻が100%悪いので、財産もわけようと考えましたが、義父母とも長く暮らしていた状態で、高齢者に無理はいえませんでした。

4人で話し合った結果、私は住宅ローンをはずしてもらうことになり、さっぱり別れられると思っていました。

 

当然、住宅ローンの名義を変更するために、書類を準備しておくのだろうと思っていました。

しかし、離婚して別居して2か月たっても、住宅ローンの返済があり、妻は書類を渡してくることはありませんでした。

 

協議離婚で4人で話し合った時、義父母は申し訳なさそうにしていましたが、どうやらその後の話し合いで、自分の娘を擁護するかたちをとったようです。

浮気をしたのは妻ですが、夫婦関係がすでに冷え込んでいたことから、私にも責任があるとふんだのでしょう。

 

私は慰謝料も養育費も請求せず、譲歩したつもりですが、妻は住宅ローンすら私に払わせようとしたのです。

この時は、やはり協議離婚で話し合いなどせずに、きちんと法的な手続きをしておけばよかったと思いました。

 

公正証書に残しておけば、トラブルがあったときはすぐに調停に訴えることができ、証書をもとに強制的に住宅ローンをはずせるよう指示できたはずです。

 

浮気がわかったときは、頭がパニックになったり、仕事の忙しさからそこまで気が回らなかったりと大変でした。

 

それが原因でうやむやにしてハッキリと決めず、法的な手続きをしなかったのがトラブルの原因になりました。離婚は一生の問題なので、きちんと準備をして、法的な書類として残すべきであったと今更ながら後悔しています。

 

これまで夫婦だったのだから、約束を守るだろうという安易な考えが出てしまったようです。

 

 


養育費一括払いも・・・金額に後悔

私は昨年、離婚をしました。原因は子育てに対する方針の違いです。

 

私は子供がご飯を残さず食べたり、片づけがきちんとできたなど、当たり前のことであっても、きちんとできたところは褒めてあげたいという考えだったのですが、主人はご飯を全部食べる、片づけをするというのは当たり前のことであって、褒める必要はない、片づけができなければおもちゃを取り上げる、育児本なんて参考にせず自分のやりたい方針でいけばよいという考えでした。

 

そして子供がご飯を食べなかったり、片づけができなかったりしたことに対して、子供を怒るだけでなく、昼間一緒にいる私が子供の教育ができていないと、いつも怒りの矛先が私にやってきていました。

 

子供がご飯を食べなかったり、片づけをしないというのはイヤイヤ期がまだ残っているからであって、私は長い目で見ればよいと思っていたのですが、主人は以前は片づけがきちんとできていたし、ご飯も残さず食べられていたのに、今はできないなんておかしいと言い張るようになり、次第に子供のことでの対立が深まってきました。

 

主人は結婚直後から喧嘩になるごとに「離婚」という言葉を口にするような人で、私もこのような状態に耐えられず、離婚を考えるようになりました。そしてとうとう別居が始まりました。

 

別居が始して3か月後、主人がこのまま別居を続けてもしょうがないから離婚をしたいと言われました。

 

そして主人が離婚に際してお金を一括で払うので金額を出してほしいと言ってきました。

 

当然、養育費としてのお金が欲しかったのですが、一括でと言われるとどのくらいの金額を提示してよいのか迷いました。

 

返事を先延ばしにしていると、主人から脅迫とも言えるようなメールや電話があり、それに怯えて精神的におかしくなりそうでした。

 

そしてとうとう主人から電話があり、今までにない脅迫とも言えるようなことを言われ、とっさに300万という金額を言ってしまいました。主人がすごく怖くて、早く解放されたいという一心で出してしまった金額です。主人はその金額ならということで、あっさり了承しましたが、後で思えば、まだ4歳の子供がいるのに300万円では到底足りません。一括であったとしても、きちんと妥当な養育費/月を計算し、二十歳までの金額を提示すれば良かったと後悔しています

 

調停であれば、そんな金額にはならなかったと思うので、一時の思いで早々に決断を下すのは危険だと

今になって思います。

 

現在は、一人親の手当やパート勤務で何とかギリギリの生活をしています。主人と縁が切れてホッとしたものの、これから先の子供の長い人生を考えると不安でしょうがありません。


度重なる借金、嘘だらけの夫

私が離婚したのは8年ほど前ですが、その4年くらい前から、離婚するつもりで私は娘を連れてマンションを出て別居していました。

 

離婚の原因は「夫の借金癖」です。給料は少ないのを覚悟して結婚しましたが、夫だけの給料で生活するよりずっと良いと思って、可能な限り働く気でいました。

 

そしてずっと共働きなら、一軒家は無理だけどマンションくらいは欲しいと思い、マンションを購入しました。

 

当時30代後半の元夫は、給料が上がらないことに不満もあり、転職を考えました。

 

「次を決めて辞めること」の条件で賛成はしていましたが、考えの甘い元夫は次を決めずに辞めてしまいました。これが転落の序章だったと思います。

 

「まだ40歳前だし」と夫自身も、私も思っていました。しかし・・もともと大人しい性格なうえ、特に資格もなく夫の転職活動は上手くいきませんでした。

 

それでも「残業があるところは嫌だとか」「土日は休みたいとか」子どものいる既婚者とは思えない、甘い考えに私もだんだんイライラするようになりました。

 

自主退職とはいえ、念のため職安への手続きを勧めると「俺が3ヶ月も決まらないと思っているのかっ!」と切れていました。前の会社の退職金についても「会社の設備を壊したから出ない」と嘘をついていました。あの頃から、ちょこちょこ借金をしていて、その穴埋めに使ったのではないかと今にして思います。

 

家に居るのなら「せめてバイトくらいしてほしい」と言えば、機嫌が悪くなるし、家事を頼んでも、あれこれ言い訳しては協力もしない態度に私はすっかり嫌になっていました。

 

しばらくして、元夫は「委託販売」の仕事をするようになりました。説明会に行って「頑張れば儲かります」などと言われたようです。私は「胡散臭いな」と思いながらも、少しでも働いてもらわないと生活できないので静観するしかありませんでした。

 

都市部担当であれば儲けを出している人も実際いるようですが、元夫は郡部を任されたこともあり、運転資金にばかりお金がかかり、結局、借金をして私にお金を渡していたのです。元夫には10万くらいは生活費として入れて欲しいと思っていましたが、だんだんに「今月はない」というようになりました。

 

「儲からない」と思えば、手を引けばいいわけで、まさか、「借金までしている」とは夢にも思いませんでした。「そもそも一人自営業に貸すところなんてない」という言葉を信じていましたが、結局ありとあらゆるところから借りて300万以上借金をしていました。

 

なぜ、返せないお金を借りるのだろう・・私は目の前が真っ暗になりました。

 

私がうるさく「生活費」と言ったからでしょうか。そんなに借金をしてもその仕事を辞めるとは言いません。「いつが劇的に挽回できる」とすっかり思考がおかしくなっているのです。

 

退職金の件も、職安の話も嘘ばかりです。そう、借金をする人は簡単に嘘をつきます。私はすっかり嫌気がさし「離婚前提」でマンションを出ました。なぜ、離婚前提なのか、そのままでは元夫は「養育費」さえも払えない状況なのです。

 

どんな仕事でもいいから他の仕事をして一万円でもいいから、「親」としても責任を果たして欲しいと思いましたが、そんな思いも空しく、元夫は一度きれいにしてもらった後もその仕事を辞めず、借金を繰り返していました。

 

この人に関わってはいけない、期待しても無駄と思い、4年の別居の後、離婚しました。

離婚してつくづく思うことは、「仕事を持っていて良かった」ということです。

「離婚したけど、仕事がない、食べていけない」となれば子どもがいる場合、子どもにも辛い思いをさせます。暴力等でなければ勢いで決めず、しっかり準備をすることが大事だと思います。

 


経済面でだらしのない妻との離婚を決めて・・・

僕が離婚したのは32歳の時、結婚10年目でした。


妻とは俗に言うできちゃった結婚です。長男が産まれ、長女、次男と三人の子供に恵まれ仕事も役職が上がりこれからだという時でした。

 

僕の身体に異変がありました。呼吸をすると胸が痛むのです。痛みの強さは波があり、ひどい時は呼吸ができなくなるほどの痛みです。もちろん病院に行き検査を受けました。


結果、異常なし。


他の病院も行きましたが、結果は同じでした。妻に説得され、心療内科に行きました。


うつ病からくる痛みだと診断されました。

 

その時の僕には何を言ってるのか理解できませんでした。

 

何にストレスを感じてるのか自分でも分かってなかったのです。


とりあえず、ひとつの原因であろう仕事を休む事にしました。

 

そうすると、今まで日常だと感じてた風景の中にあったのです。生活の中のストレスが。

山ずみの洗濯物。
半乾きの生臭い洋服の塊。
シンクに溜まった食器。
鍋のカビ。

 

もちろん妻も仕事をしてるので、全て妻に押し付けた訳ではありません。


前に僕が家事を手伝うと言った時です。


「私ができないと思ってるの!?」と癇癪を起こされました。それからは手を貸してません。
食事は外食がほとんどです。


こんな生活ではもちろん貯金なんてあればいい方だと思ってました。


妻に管理してもらってる通帳を見せてもらうと予想通り貯金はなし。


そして、僕はこの時初めて知ったのですが、借金が300万円ほどありました。

何で?


それが最初の気持ちです。

 

もともと、結婚する前に妻に借金が100万円ありました。僕が肩代わりをし、全部払いました。なぜそれが増えてるのか?


外食がほとんどとはいえ、共働きでやっていけないはずはない。


妻に問いかけると、あなたの飲み代や病院代だと言われました。


そんなおかしな話はないでしょう。

 

いくらうつ病と言われた僕でも分かります。妻にお金の管理能力がないんだと。

離婚の話を切り出しました。

 

その後の取り決めで養育費で毎月8万払っています。300万円の借金も僕名義なので私は払わないという妻のお金に対する執着心に僕はこの人に一生金づる扱いされるのかと、怖くなり弁護士に相談しようと考えています。

 

お金のことだけはきちんとしたいと思います。


裁判までしたのに・・・・取れるものが何もなかった夫

学生時代から付き合っていた同級生の元旦那との体験談です。

 

付き合っていた頃は、面白い性格で、男性として魅かれる部分がたくさんあった人でしたが、結婚してからも自分勝手で家族を顧みない性格が治らなかったので、夫婦ケンカがたえませんでした。

 

2人目の息子が出来た頃には、サラリーマンを辞めて、ラーメン屋を始める、とか、一週間に2回位飲み歩いて朝帰りなどが続き、ケンカになり、暴力をふるうようになりました。

 

私は、2人も子供が出来たのだから、何としてでも我慢しようと思って生活を続けていましたが、大声で怒鳴られたり、幼い子供たちの前で、殴られたり、蹴られたり、元旦那の暴力がエスカレートしていきましたので、ついに我慢できなくなり、何も持たずに、子供だけ連れて実家に逃げ込みました。

 

当時はまだ両親とも健在でしたので、私と子供たちを守ってくれたのです。自分は、元旦那が怖い、という思いから離れられずに、ウツのような状態がしばらく続きました。父の紹介で、弁護士さんをつけて、協議離婚をすることになりました。

 

もともと、相手は、子供があまり好きではなかったので、自分で引き取るつもりは全く無かったのですが、結婚後、自分たちで購入した車や、多少ローンが残っていた中古の家などの売却後の資金など、全部、元旦那の物になりました。

 

裁判は、1年以上かかりましたが、子供達は、私が引き取り、養育費は、元旦那が1人に付き、1ケ月3万円ずつ支払いそれぞれ22歳まで、払うという公正証書をとりました。3歳違いの下の子がまだ5歳でしたので、この費用を元に頑張って生活して行こうと思っていました。

 

裁判が無事終わり、私の銀行口座に、月に6万円支払われるかと思っていたら、期日になっても、全然振り込まれず、催促をしました。けれども、とうとう、1回も振り込みや援助も無く、何年も経ってしまいました。

 

その間、お世話になった弁護士の先生に相談に行きましたが、元旦那が実家の新潟に帰り、自営業を継いだので、サラリーマンと違って給料を差し押さえる事も出来ないので、結局泣き寝入りしか、方法はないと説明されました。

 

私は、本当に悔しい思いをしましたが、何とか2人の息子たちを育てる為に、ずっと正社員を続けて、頑張りました。その後、良い男性に巡り合えて再婚出来たので、今は、平凡ですが幸せです。

 


離婚後も大変・・・

わたしは25歳の時に、3年ほど付き合った彼女と結婚しました。

 

彼女は2歳年上で、友人の紹介がきっかけで出会いました。

 

結婚生活は最初から、あまりうまくいっていなかったと思います。

 

わたしは妻が30歳になるまでには子供が欲しいと思っていましたが、妻はまだ早いと言って、子作りには積極的ではありませんでした。

 

妻の勤める会社は、波はありますが、忙しい事が多く、繁忙期になると帰宅時間は毎晩11時くらいになる為、必然的にわたしの方が家事を担当する割合が増えました。最終的には、家の掃除や、洗濯、食事の準備などほとんどの事をわたしがこなしていました。

 

それでも妻は仕事が忙しく大変だからと思い、ある程度納得していたのですが、ある時会社の同僚から、わたしの妻をホストクラブで見かけたと聞かされました。妻に問い詰めると、事実で、付き合いで行っただけでその日だけの事と弁明していました。

 

そこから妻の事がだんだんと信用できなくなり、しだいに会話も減って、妻が帰宅するころにはわたしは自分の部屋にこもって、一緒に住んでいたのにもかかわらず顔を会わせない日もありました。

 

いつからかはわかりませんが、妻は浮気をしていて、わたしに離婚を提案してきました。わたしも妻に対する愛情は無くなってきていたのですが、互いの両親や、祝福してくれた友人たちの事を

おもって、話し合いをしたかったのですが、妻は受け入れてくれませんでした。

 

しばらくして離婚が成立し、別々の生活が始まりました。

わたしはもともと住んでいた部屋に残り、妻が出ていきました。

 

その頃から、あまり人と関わりなくないと思い、携帯電話を変えて家族以外とは誰とも連絡が取れないようにしていました。

 

それがまずかったのか、数か月後、偶然出会った友人からとんでもない話を聞かされました。

妻は離婚の原因はすべてわたしにあって、DVや浮気、家庭にお金を入れないなどすべて大ウソをつかれていました。

 

友人もすぐにわたしに連絡を入れたのですが、電話がつながらない事もあり、

ほとんどが妻の言い分を信用したのと事でした。

 

わたしと妻は交友関係がかぶっていたので、必死で誤解を解きました。

 

離婚直前に確保していた妻の浮気の証拠があり、男性側の友人はわたしの言い分を理解してくれましたが、女性側の友人は妻の見方が多く、離婚する事によって、妻だけでなく多くの友人を失う事になって

しまいました。

 

妻の友人から、SNSで誹謗中傷が合ったり、色んな噂を流されて、間に弁護士を入れたりと本当に大変でした。もう二度と結婚はしないと思います。

 


夜の営みがないことが原因で・・・・

私は、一昨年の12月に夫と離婚しました。


夫は29歳、私30歳で夫と1年ほどお付き合いをして入籍をしました。


お付き合いしている時は、それなりに体の関係もあり、周りからバカップルって言われるほどの仲良しでした。

 

しかし、結婚して半年経った頃それまで夜の営みがあったのが私から誘わないとないという事が続き、挙げ句の果てには「しんどいから」とか「明日でもいいとか」言うようになりました。


私は子どもも欲しかったので、やはり営みがないとできものもできないと毎回頑張って誘っていたのですが、だんだん自分自身も誘うことが嫌になって、「なぜ毎回毎回誘わないといけないんだろう」と思うようになっていきました。


だんだん誘うことがアホらしくなっていき、誘わなかったら3ヶ月も営みがなく、これじゃダメだと思い夫と話し合いをしました。


でも、「俺のタイミングがある」と言うので待ってみたのですが、待っても待っても営みはありませんでした。
私は夫の言った言葉も理解できなかったし、悩んで考えた結果離婚を決意しました。


夫には、率直に離婚してほしいと言って離婚届を渡したし、夫と話合いしたのですが、そもそも夫は「子どもは別にいなくていい」と「できたらでいい」などあまり子どもが欲しかった訳じゃなかったみたいでした。


でも、私は昔から子どもができにくい体質だったので、子どもができるまで夫に頑張ってほしかったのですが、夫の気持ちを聞いて完全に夫への気持ちが冷めてしまいました。


冷めてしまった気持ちも伝え、夫には離婚してほしいっと言って一緒にいてる事も嫌になってしまったので、私は実家へ帰り夫からの連絡を待っていました。

 

しかし、1週間たっても2週間たっても全く連絡がなく離婚してくれるのか、どうするのか分からずこちらから連絡をしても仕事が忙しいと誤魔化すばかりで参っていました。


最終的には私から離婚届書いといてと何回も言って書いてもらった状態です。


離婚後は、結婚してた時に貸していたお金を毎月返してもらっている状態ですが、元夫はお金にかなりルーズな人だったのでお金が振込まれてなかったら毎月毎月催促の電話をかけてる状態です。

 

きちんと公正証書にして、法的拘束力をもつ書類にしておけばよかったです。


お金の事でいちいち連絡するは本当に嫌です。

 


子供を作らないことが条件で・・・

25歳の時、16歳年上の方と1年間の結婚生活をしました。


穏やかで、経済的に問題もなく人から羨ましがられるような結婚式や生活を過ごしました。


そんな彼と、結婚する時一つだけ条件を言い渡されていました「子供のを作らない事」
若かった私は深く考える事もなく、家庭環境が複雑で育った私には、同じ思いをさせたくない気持ちもあり、いなくてもいっか。その位の考えしかありませんでした。

 

結婚して半年が過ぎた頃、父が急逝し人間の本能なのでしょうか、子供が欲しいと思うようになり相談したところ、彼の回答は勿論NO。

 

それ以外は何一つ問題もなかったのですが、この先子供を産む事無く生きる事を日々考え離婚を決断しましたが揉めることなく引っ越し費用に慰謝料100万円を下さり、今も時折食事をする関係でいます。


歳の離れた方であり、子供はNO・本来結婚も進んで望んでおらず、親からの見合い話が煩かったのもあり結婚をした方なので打算的な考えをできたならば、結婚生活を継続出来たのだと思います。

 

子供がいなかったために養育費等の取り決めがないので、もめることはありませんでしたが、

本当に子供のいる方の離婚は大変だろうなあと感じます。